□■営業車■□

 □1000系

 □2000系1次

 □2000系2次

 □3000系1次

 □3000系2次

 ■4000系


□■事業用車■□

 □100型

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1950年。帝鉄開業時に一緒に製造されたのがこの1000型。
20M4ドアという国鉄型標準車体を採用。Mc+T+Mcの3両編成で登場した。


足回りはDT11、モータは110kwの直巻電動機を使い五月蝿くパワフルな仕上がりになった。
当時は路盤も悪く、高速運転しないから95kwでも良かったんだけど製造元が間違えて試作車に110kw
のを載せちゃって、尚且つ試運転時に良い走りを見せたから会社側も載せ換え無しそのままでゴーサイン。
制御器は1C2Mで、手動進段型。加速が良いからウテシは必死にノッチを上げないといけなかった。
M車にMGやら機器を積んで中間車にはCPくらいしか載っけてなかった。粘着係数稼ぐ為にね。

その後制御器は自動進段5ノッチに変更。
2M1Tだから110km/hは出せるけど、路盤が悪いから85km/hでリミッタが掛かるように設定。
当時の1C2Mの制御器を無理やり1C4Mに改造、お陰でパンタの数が1機で済んだ代わりにやたら制御器が
故障した。接点が飛んで抵抗を繋ぎ間違えてモータに過大電流が流れて吹っ飛んだ時は流石に驚いたね。
ブレーキはHSC。電制はあるが、制御器がすぐ吹っ飛ぶのでカット。空気ブレーキのみで高速走行時から
一気に減速するときはウテシは必ずビビってた。
1960年、輸送人員増加に伴い1000系中間車を製造。その頃は路盤も整備されてたから100km/h運転
を行っていた。会社が高加速をウリにしていたので、流石にT車を組んで加速を鈍くしたくないと思ったのか、 中間車もM車で製造。MM改造も施してMc+M'+M+M'+M+Mc'の編成になった。
元から有る車両は車体更新改造を行い、新造中間車と同じ形態に。
中間T車は電装改造を施してM車に。
当然加速の良さはそのままで、長編成化。この状態で今も続けられている。
この6両編成は後々、「恐怖の6M」とあだ名が付けられることになる・・・


時はちょっと後にして、1000系6Mの朝ラッシュ増結用に2両編成が、ローカル線用に3両編成が登場。
基本性能は変わらずで、2両編成がMc+M'c 3両編成がMc+T+M'c で製造された。



1977年に路線延伸増発用2000系が登場してしばらく経った1995年、1000系6両編成は製造されて45年経った。
老朽化の呪いがジリジリを近づいてきて、たとえ更新していても車体各所にもガタが見え始めた。
そこで帝鉄は1000系置き換えの3000系を製造。1000系6両編成の置き換えを開始。
1000系6両編成は順次置き換えになり今は6編成が残りすべて普通・快速運用に就いている。
増結、ローカル線用のミニサイズ1000系も新形式4000系により置き換えが決定されている。
いつの日か1000系はすべて淘汰されて形式消滅の道をたどるだろう。

□■1000系諸元■□
1950年片瀬車輌工業製造・1960年車体更新・1980年モーター取り替え・スカート取り付け
1995年置き換え開始・2011年置き換え終了予定
加速度:2.5km/h/s 減速度:3.0km/h/s(常用)・4.0km/h/s(非常)
保安装置:ATC・ATS-P
□■取り扱い種別■□
本線:普通・快速(朝ラッシュ8両編成・6両編成)
研究都市線:普通・快速・本線直通列車(6両編成・5(2+3)両編成)
大苫田支線:普通のみ(3両編成)
詩室支線:普通のみ(3両編成)
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